十牛図とは、悟りに至る10段階を10枚の絵と詩で表したもの。
真の自己は牛で、それを求める牧人が描かれている。
尋牛(じんぎゅう)
自分の本当の心を探そうとする。
本当の自分とは自分の中にある、それに気づかずに外に探しに行ってしまう。迷っている状態。
しかし、その探そうとする行為に意味がある。
見跡(けんせき)
経典や、書物など故人のことばを手掛かりに本当の自分を求めていこうとする姿。
ただし、知識を得ても本当の自分にはたどり着かない。
見牛(けんぎゅう)
自分の中にこそ、自分が探し求めた素晴らしいものがあると気が付く。
得牛(とくぎゅう)
自分の心は簡単に思い通りにはならない。
暴れる牛(自分の心)と格闘する状態。
自分の心の動きに気づく状態。
牧牛(ぼくぎゅう)
自分の暴れる心に縄を付けて、鞭を打って飼いならす。
座禅、瞑想などによって、自分の心の状態に気づくようになり、即座にコントロールを取り戻す。
(自分の心が暴れるのに)気が付くのがどんどん早くなり、引き戻す力も少なくて済む。
自分の心はそれほど暴れなくなり、(牛の手綱が緩むように)心が自分に従うようになる。
騎牛帰家(きぎゅうきけ)
牛と自分がだんだん一つになってくる。目指すべき理想の自分と現実の自分が重なってくる。
心が自然と本来の穏やかさを取り戻した状態。
もはや牛を引く必要はなく、牛にのって家に帰れる。
忘牛存人(ぼうぎゅうぞんじん)
目指す自分と、本来の自分が一つになったので、牛の事は忘れてしまって構わない。
牛を飼いならすために使った鞭や手綱もいらなくなった。
人牛倶忘(じんぎゅうぐぼう)
迷いがなくなって悟りの心だけが残ったとしても、それ自体が執着となる。それも捨て去る。
充実した無の世界。
牛も人もいなくなった、「空」の世界。
返本還源(へんぽんかんげん)
有の世界から、一度、無の世界に行って、もう一度、有の世界に戻ってくる。
ここまでくると、あるがままにものを見、あるがままに外の声を聞くことができる。
入鄽垂手(にってんすいしゅ)
自分だけが悟りを開いて納得するのではなく、座禅で印を組んでいた手を解いて、人々のために手を差し伸べる。
高い心境に達していながら本来の自己の素晴らしい光をわざと隠すこと