25歳から31歳くらいまで、私は死にたくてたまらなかった。
システムエンジニアとして働いていて、特にこれといった問題を抱えていたわけではないが、本当に生きるのがつらい時期だった。
その時の状況と、自殺を思いとどまった方法を記載する。
当時の状況
SEとして客先常駐していた自分の評価は悪くなかったと思う。積極的ではないが、仕事ぶりは真面目で、作業は早く、ミスも少ない。一緒に仕事をする人にも恵まれ、周りから見たら死にたいと思っているなどとは夢にも思わなかっただろう。
当時の私の心のイメージを言葉にするなら、「粘り気のあるぬるま湯の中でもがき続ける」感覚だ。居心地は悪くないはずなのに、何かにからめとられているような気がした。仕事はできるとわかっていることばかりで、チャレンジはなかった、したがって自分の成長もほとんどなかった。たまには仕事にやりがいを感じたり、楽しいイベントもあったりしたが、それよりも圧倒的に日常の苦痛が上回っていた。「一生このまま働くんだ」と思っていた自分には絶望しかなかった。
もし、仕事が典型的なブラック企業なら、転職を目指すなどやりようはあったかもしれない。だが、仕事は楽で、給料もそこそこ、人間関係も良い。「現状を変えようと動いても悪くなることはあっても良くなることはない」、という思いが、粘り気のあるぬるま湯の正体だろう。
躁鬱と呼ばれる状態で、 躁の時には何も問題なく気分もいいが、 鬱の時には死ぬことばかり考えていた。近所の川にかかる橋によじ登って飛び降りようと、明日行こうと、思い詰めたこともあった。
思いとどまった方法
結論から言うと、この方法とは自殺法のことで、自分で自分を殴り殺すというものだ。
自分の事をとても愛してくれる両親の存在は大きかった。橋から飛び降りる想像をするときは同時に号泣する両親の顔が思い浮かんだ。 だが死ななかったのはその事だけではない。
あの時、自分の中には2人の自分がいた。死にたくてたまらない自分と、絶対に死なせない自分、その二人がすごい力で綱引きをしていた。
死にたい自分は、言葉にはできない絶望的な感情を目いっぱい増幅して、死をイメージして、だだをこねるように、どんなに痛くても苦しくてもいいから死なせてくれと、もう一人の自分に訴えかけた。死なせない自分は一歩も引かなかった。川に行くことも許さなかった。
そんなことを何度も繰り返し、ある時、死なせない自分がついに許可を出した。「そんなに死にたいならもう死ねばいいよ、ただし素手で自分を殴り殺すこと。素手で自分を殴り殺せるくらい強い気持ちがあるならもういいよ。」この方法でなら両親もわかってくれる気がした。
人生で初めて、拳で頭を死ぬ気で渾身の力で何度も何度も叩いた。1分くらいで気が付いた。こんなんじゃ死ねないと。頭はガンガンして、たんこぶもできているようだった。涙が出て笑えてきて馬鹿らしくなった。
その後も2回ほど、死にたくなった時に同じようにやったが結局死ななかった。ただ痛いだけじゃないかと気が付いた。
自分の死にたい気持ちは、素手で殴り殺すこともできない、こんなもんなんだと気が付いた時から死にたい自分はいなくなった。
今の自分
今の自分は、死にたいという気持ちは全くない。これからの人生でもそう思うことは絶対にない。当時の絶望的な感情は自分の思考が作り出していたと気が付いたからだ。
人は何のために生きるのかという答えも見つけた。稲盛和夫さんの「生き方」という本を読んで腑に落ちたのだが、このことはまた別の記事で書きます。
最後に
この記事を書くのは恥ずかしかった。正直知り合いには見られたくない。
でも書いたのは、これから自分が「人を幸せにする」と決めているからだ。
千人の死にたい人がこの記事を見て、もし一人でも救えたならそれは大成功だ。